音羽ホール・梁川法務所
上湯川達磨大師法務支所
函館の発展とともに成長した高龍寺は、函館の範囲が拡がるに従って数多くの支所、説教所、出張所を設置しました。その多くは末寺寺院として独立しておりますが、現在も船見町本坊のほかに法務支所が3つ市内に設置されています。
旧音羽法務所
高龍寺音羽法務所は、寛政七年(1805)に建てられた地蔵堂が前身です。
本尊は延命地蔵願王菩薩。このお地蔵様の由来については諸説あり、はっきりしません。
1 地蔵町の豪商が邸内にあった石地蔵を土地と一緒に寄贈した、という説。
2 海辺にあった意志のお地蔵様を子供たちが引きずり回して遊んでいるうち鼻がかけてしまったので、それを「鼻欠け地蔵」としてお祀りした、という説。
3 桧山管内の上ノ国に流れ着いた木造のお地蔵様がいつの頃からか函館に移されて祀られた、という説。
等の説があります。
音羽ホール
地蔵堂はその後明治29年(1896)に現在地である音羽町(現若松町)に移転、2年後の明治31年に布教拡大を目的として音羽法務所として整備されました。
その後音羽法務所は幾たびか火災に遭い消失していますが、昭和9年の函館大火ののちは平成13年までその威容を保っていました。
平成14年に全面改修し、多目的使用を目的とした「高龍寺音羽ホール」として生まれ変わり、現在では仏事はもとより様々なイベントに使用されています。
0138-22-1352
梁川法務所
龍香洞
人形供養の様子
国の華幼稚園
梁川法務所は大正10年(1921)に建立されました。当時函館は内陸へ向かって街の拡大が続いていたため、この地の布教教化を担わせる役目をもっていました。
その後昭和31年(1956)には境内に国の華幼稚園を開設。現在でも200名以上の園児たちが毎日を過ごし、境内にはかわいい声が絶えません。
また、昭和56年からは毎年一回人形供養を行い、「人形供養のお寺」として親しまれています。
平成19年には、バリアフリー納骨堂「龍香洞」を新設いたしました。
0138-51-3317
上湯川達磨大師法務支所
上湯川達磨大師法務支所を作ったのはたった一人の個人の女性です。その方の名は、斉藤キワさん、明治10年生まれ。大正末期にご主人と死別された後に、夢の中で達磨大師に出会ったそうです。その後深く達磨大師に帰依し、地域にお札を配って回るなど「ダルマの斉藤さん」として親しまれていました。その後奈良の達磨寺のような達磨の道場の建立を発願し、1951(昭和26)年に独力で達磨像や不動明王像、竜神象などを作り上げ、自宅の敷地内に祀っていた手彫りの達磨像とあわせこの地に祀りました。キワさんの没後、この霊場は娘さんによって守られ続けていましたが、平成9(1997)年、高龍寺に寄贈されました。鎮座から64年経った2015(平成27)年には修復が行われ、建立当時の姿を取り戻しました。毎年10月5日の達磨忌には高龍寺全僧侶による大祭法要が営まれます。
因みに、入口には「道南名所第三位」との標記があります。これについては、高龍寺に寄贈される前からの言い伝えですので、残念ながら詳細は伝わっておりません。
0138-50-3317